いま観る理由『耳をすませば』
ジブリ作のなかでも一番好きじゃなかった。
恋愛映画だし、どこぞの青春なんて誰が好きの好んで観たいってなるか。まったく意味がわからなかった。
僕も今年で33歳を迎える。
10代20代とこれまで生きてきた経験値が蓄積され、30代となればちょうどいい具合に脂も乗ってきている頃かなって思う。なにに対してか、よくわからないけど……。
恋愛をし結婚をし、同棲がはじまり子どもが生まれ、今では2人の子どもに恵まれ大きく人生も変わってきた。そうなると、どうやら僕自身の心境の変化もあったようで、一番驚いているのは当の本人。
それまで『耳をすませば』を観たいだなんて一度も思わなかったはずなのに、突然観たい衝動に駆られてしまったわけだから、複雑な感情を抱かずにはいられなかった。
なにを思って観たいってなったのか、それはただ単に恋愛映画ではないということに気づいてしまったからだ。
本作の魅力は別のところにもある。
そのことに気づいたときには、懐かしさを感じたくて観たくなった。
たとえば、主人公・雫が暮らす生活のシーンでは団地が登場する。
団地は団地でも生活感が溢れ、台所では炊飯器に銅鍋にやかんに、テーブルにはさくらんぼ柄のテーブルクロスがかかっていて昭和レトロを感じる。
これが本当に懐かしくて、僕の人生と照り合わせる楽しみがあってよかった。
小学生の頃は団地に住んでいたけれど、僕の家には浄水器がなかったなーとか。調理器具とか調味料とか、あんなきれいに整理されていなかったなーとか。至るところにカビが生えていて、今思えばよくあんなところで大きな病気をすることなく生きてこれたなと思った。
いや、まぢで本当にすごかった。
で、そもそもダイニングテーブルがあるというだけで、その時点でおしゃれだなと思った。
雫と姉の汐と共有する二段ベッドとかは、夢の夢のまたその夢の話みたいなもので、いいところの育ちなのがわかった。
僕もけして貧乏な生活を送ってきたわけではないが、少なくとも家族5人ひとつの部屋で布団を敷き詰めて寝る生活を送っていたのは事実。父の横に僕がいて、その横に母、妹、姉の順番だった。
ゴキブリもムカデもよく出ていて、寝静まった頃に姉の首にムカデがいたという話を聞いたときは、あまりの恐怖で眠れなかったことを今でも鮮明に覚えている。
普通に考えてこれはやばい話だなって思う。
団地はとにかく狭くて収納の便利が悪くて、窮屈なイメージしかない。
実際、雫の自宅でも父は市立図書館勤務で働き、母は大学院に通っているからか、やたらいろいろな本がリビングにも置かれていた。
電話機に至っては棚の上ではなく本の上に置かれている状態だったから、そのときばかりは勝ち誇った気持ちになった。別に勝ち負けとかじゃないんですけどね。
ただ、雫たちの清潔感のある生活に対し、少なくとも劣等感を抱くこともあった。そんななかでのまさかの本の上に電話機が置かれているという……。「僕ん家はちゃんと棚の上に電話機が置いてあったんだぜ」と雫に言ってやりたい。
そう言ったあとで、「あっそ!だからなに?」と一蹴されてしまいそうですが……。
好きになってしまった理由は、そういった生活感が描かれているところにある。そして所々で感じる昭和らしさ、街並みも服装もこの作品の全部が昭和臭くて全部好きだなーって思った。
[kanren postid=”6539″]