「友達」ってなんだろう?
わたしにとっての”友達の定義”が、先日なんとなく腑に落ちたような気がした。
今までわからなかったわけではない。ただ、「友達ってなんだろう?」という曖昧さはあった。
遊ぶだけの間柄のことを指しているのか、それとも時間をたくさん共有していることを指しているのか。どちらも間違いではないとは思う。
でもこれだと自分自身の心の中でなにか引っかかるものがあった。
「本当にそうなんだろうか?」という疑問を抱いていた。
果たしてそれだけで友達と本当に言えるのだろうか。「はい、そうです」と100%胸を張って言える自信がなかった。
じゃ、友達って一体なんだろうという話になる。
先日、友達の嫁宅でBBQをした。
集まったメンツがメンツだけに、友達にこの会は一体なんであるのかを尋ねた。結婚式の二次会的なものなんだそう。
なるほど、通りで結婚式で同じテーブルを囲った本日2度目のご対面の方もいれば、ご両家の方々もいるというシチュエーションが出来上がっているわけだと、その雰囲気に妙に落ち着いた。
友達は秘密主義のところがあるせいで、当日になってみないとわからないケースが本当に多い。
これを人はサプライズと呼ぶのか、ただ単に無礼者と呼ぶのかは紙一重なところがある。
今回に関しては、俺もわからないとのことだった。
言葉を失った。お宅、客?
新郎としてではなく客として参加しているようだった。まあ、それも友人だったらありえる話かなと思った。
だって、会費のことでも俺も払っていないから大丈夫やろうとひと言告げらただけで。しかもむさ苦しい男性4人と子ども1人で散歩をしている最中に、いかにも自信に満ち溢れた雰囲気を醸しながら声高らかに告げられていた。
その状況から言えば、どう考えても他の人に聞いたほうがいいだろうという感は否めなかったが、ここは友人の意見にしかたなく耳を傾けて甘えることにした。
何気ない会話をして、他愛もないことで笑い声をあげて。その時間、ずっと楽しかったように思う。
久々に友達と集まって、ご飯を食べて、遊んで。
20代の頃と今では状況や見た目の老け具合も違えども、毎回共通していたのが仕事のことは一切頭の中にはなかった。
仕事で嫌な出来事があっても思い悩むこともなければ、悲しむこともなかった。むしろ、仕事なんてどうでもいいとさえ思えてくる自分がいた。
楽しいという感情だけが体中に溢れて、負の感情は遥か彼方上空を舞っていたように思う。
本当に不思議なことではあるが、友達といるとそのように思えてくる。
友達とは 40代になっても50代になっても60代になっても、いつの日もいつまでも変わらず遊ぶ仲でいたいと思う。
彼女ができて、結婚をして、子どもができて。友達や自分自身にもいろいろな変化が身に起きて、共に人生を刻んでいるこの感じがわたしは好きだと思った。