映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』心が張り裂けそうなくらい胸が熱くなる。福祉について考えさせられる作品
上映時間 | 100分 |
製作国 | イギリス フランス ベルギー |
監督 | ケン・ローチ |
音楽 | ジョージ・フェントン |
配給 | イーワン・フィルムズ(イギリス) ロングライド(日本) |
公開日 | 2016年(フランス) 2017年(日本) |
主な出演者 | デイヴ・ジョーンズ(ダニエル・ブレイク) ヘイリー・スクワイアーズ(ケイティ・モーガン) ディラン・マキアナン(ディラン・モーガン) ブリアナ・シャン(デイジー・モーガン) |
どうも、バンコ(@banco_oc)です。
久々に胸糞悪い映画を観ました。
いや、これはまぢで、はっきりいって最低最悪のゲス野郎としかいいようがありません。
なんのための誰のための制度かよって言いたくなるほど、この時代の福祉の取り組みに驚きを通り越して、もはや開いた口が塞がりませんでした。
ほんとびっくりするぐらい、行政機関で働く人たちの仕事っぷりといったらそれはもう残念でしかたありませんでした。
これが同じ福祉の業界で働いているものとはまったく思えませんでしたから。
福祉ってなんだろう?
働くってなんだろう?
生きることってなんだろう?
そんなことを考えさせられました。
あっ、もうご存知とは思いますけど、胸糞悪いと感じたのは作品に対してではなくて登場人物のことです。
作品自体は、すごくいい内容で素晴らしいですので。
福祉の世界に従事している方には観てもらいたい作品です。
あらすじ
イギリス北東部ニューカッスルで大工として働く59歳のダニエル・ブレイクは、心臓の病を患い医者から仕事を止められる。国の援助を受けようとするが、複雑な制度が立ちふさがり必要な援助を受けることが出来ない。悪戦苦闘するダニエルだったが、シングルマザーのケイティと二人の子供の家族を助けたことから、交流が生まれる。貧しいなかでも、寄り添い合い絆を深めていくダニエルとケイティたち。しかし、厳しい現実が彼らを次第に追いつめていく。
感想
福祉は生活における最後のライフライン
少なくともボクはそのように思っています。
なにかしらの理由があって働けない人のために福祉というものがあって、支給や手当を受けたりと。
様々な制度がこの世には存在しています。
生きるためには生活していかなければなりません。
生活するためには働かなければいけません。
そして働いてお金を得る必要があります。
どうしても働けない身体になってしまった場合、国が定める制度によってお金を得る仕組みがある程度はつくられています。
そんな制度があるにも関わらず、耳を疑うような聞き取り&オンライン化された福祉システムの実情によってまったく意味をなさなくなります。
その被害の対象となったのは、タイトルにもなっているダニエル・ブレイクです。そして同じくケイティ・モーガンも。
彼らは行政の取り組み、もっといえば国の制度によって、実質死の宣告を受けてしまいます。
これが理不尽極まりなく一体誰のための制度なのか問いただしたくなるような内容で、今の福祉があるのも彼らのような人たちの犠牲のもとにつくられてきたものと思うと、すごく考えさせられました。
本来なら彼らのような立場の人たちにこそ必要な制度ですし、そうであってほしいとつくづく思います。
その聞き取りの質問とか求職活動のシステムとかバカなの
もうね。怒りを通りこして笑えてきますよ。これは。
主人公のダニエルは59歳で、腕利きのいい大工として何十年間と働いてきた方です。
実直な人生を歩んできたんだろうなと思える人間性が感じとれましたが、ある日突然心臓発作を起こしてしまい医師から仕事を止められてしまいます。
収入源が絶たれてしまい生活をしていくために、国からの雇用支援手当を受けるための申請を行うわけですが。
審査担当者からの質問内容が普通にクソすぎて笑えました。
なんのために誰に向かって質問をしているのか、業務や人間の思考がマニュアル化されすぎてバカなボクでさえ頭のなか疑問符だらけでした。
普通に考えれば心臓発作を起こした人にするような質問ではありませんから。
バカ以外ほかに言葉が見つかりません。
一方でハローワークで働く人たちはというと、同じくバカでした。
いや、考えなくても理解できる状況がそこにあるのにもかかわらず対処できない職員ら、しかもほとんど全員。
心臓病で仕事を止められている状況を知ってて、通常通りに手当を受けるための求職活動をさせるとか、ほんとバカすぎる。
システムだけが発達して、行政と医療と福祉機関の連携はないものなのかな。
これ完全に力を入れるところ間違っているやつです。
イギリス社会の現実の厳しさがリアルに描かれていて感慨深いものがある
これがイギリス社会の実態と思うと、なんだろう、このやり場のない気持ちは。
本作のなかでも強く、とても強く印象に残ったシーンがあります。
食材に困ったケイティは、ダニエルとフードバンク(まだ食べられるのに廃棄処分になりかけた商品を、必要としている施設や人に届ける社会活動)へ訪れます。
ケイティは空腹に耐えかねたのか、自宅へ持ち帰る前にその場で缶詰を開け食べだします。
その姿を見た係員は優しく声を掛け、すぐに食べられそうな物を準備します。
子どもやダニエルの前で泣き崩れるあの姿。あの表情。
心にジーンと突き刺さりました。
2人の子どもを抱えたシングルマザーのケイティは、面談に遅刻したことで行政の方から給付金の減額を言い渡され、それでもなんとか生きようと身を削り毎日を送ります。
子どもたちに不自由をかけまいと、自身の空腹を我慢し。
夕食がりんご1個という日もありました。
惨めで、どうしようもなくて、それでも子どものためにも現状を変えようと必死になって仕事を探したりして。
ボクは彼女のようにあんなに強くは生きられないと思う、そんな気持ちを抱く瞬間でした。
さいごに
やや言葉遣いが乱暴になってしまいましたが、まあこういった歴史があるからこそ今があるわけで。
そこに至るために必要な犠牲は、このことに限らずたくさんあると思います。
よりよい福祉の世界を実現するためになにが必要なのか、今一度見つめ直すきっかけを与えてくれる作品でもあります。
けしてハッピーエンドではありませんが、こういった作品こそ多くの人の目に触れてもらいたいと思いました。