『マン・オブ・スティール』スーパーマンを好きになる理由がこの作品にはある!
上映時間 | 143分 |
製作国 | アメリカ合衆国 |
監督 | ザック・スナイダー |
音楽 | ハンス・ジマー |
配給 | ワーナー・ブラザース |
公開日 | 2013年 |
主な出演者 | ヘンリー・カヴィル(クラーク・ケント / カル=エル / スーパーマン) エイミー・アダムス(ロイス・レイン) マイケル・シャノン(ゾッド将軍) ケビン・コスナー(ジョナサン・ケント) ダイアン・レイン(マーサ・ケント) ローレンス・フィッシュバーン(ペリー・ホワイト) アンチュ・トラウェ(ファオラ=ウル) アイェレット・ゾラー(ララ・ロー=ヴァン) クリストファー・メローニ(ネイサン・ハーディー大佐) ラッセル・クロウ(ジョー=エル) |
どうも、バンコです。
ネット上の評価はよくなったのですが、鑑賞してみると意外にも面白かったので、その感想について書いています。
あらすじ
ジョー・エル(ラッセル・クロウ)は、滅びる寸前の惑星クリプトンから生まれたばかりの息子を宇宙船に乗せて地球へと送り出す。その後クラーク(ヘンリー・カヴィル)は、偶然宇宙船を発見した父(ケヴィン・コスナー)と母(ダイアン・レイン)に大事に育てられる。そして成長した彼は、クリプトン星の生き残りのゾッド将軍と対峙(たいじ)することになり……。
引用:シネマトゥデイ
感想
『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』を観る前に『マン・オブ・スティール』は観ておくべき!
そう、ボクは、今年最大の過ちを犯してしまったのですが、『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』が2016年3月25日に公開されるいなや、興味本位と観たい欲求を優先してしまい『マン・オブ・スティール』を観ることなく劇場に足を運んでしまいました。
別に『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』単品で話が理解できなかったわけではありませんでしたが、『マン・オブ・スティール』を観ているか観ていないかで、スーパーマンの善悪に対しての捉え方に違いがあることに気づきました。
『マン・オブ・スティール』は、スーパーマンの視点で描かれているのに対し、『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』は、バットマンや一般市民の視点で物語は描かれています。また、ストーリーも『マン・オブ・スティール』の続きから始まります。
『マン・オブ・スティール』のクライマックスシーンにあった、スーパーマンとゾッド将軍との戦いの余波で壊滅する街と倒壊するウェイン社ビルでしたが、『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』だけを観ていると、完全にスーパーマンが悪者しか見えないわけです。
見るに耐えないほどの崩壊レベルでしたから、バットマンが憤慨するのもうなずけます。
地球全体で見ると被害は少なかったかもしれませんが、スーパーマンとゾッド将軍との戦いで、多くの命が犠牲になったのは紛れもない事実です。
ただ、スーパーマンの立場で考えると、ゾッド将軍を倒さなければ地球どころか地球人すらも、全滅してしまうほどの展開でしたから、個人的には被害は最小限に抑えられたと思います。
スーパーマンは、元々地球人ではなく異世界から来たクリプトン人という人種で、圧倒的な力を目の前に脅威に感じられるかもしれません。
でも、バットマンでもほかのヒーローでも負けてしまいそうな相手と、一線を交え勝利したのですから、やっぱりスーパーマンは世界を救ったヒーロー以外の何者でもありませんと、ボクはそう思います。
『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』だけを観てると、スーパーマンよりもバットマンが正しい、バットマンこそが本物の正義だ!と、思ってしまいますから、できれば『マン・オブ・スティール』を鑑賞したうえで、続きを観られるといいと思います。
結局のところスーパーマンは、いい奴なのか?それとも悪い奴なのか?
個人的に思うのは、いい奴です。
その理由は、いい父親といい母親から生まれたという理由からの判断です。まあ、そのほかにも理由はありますが。
ただし、彼らは、クリプトン星の世界では禁止されている自然出産でカル=エル(スーパーマン)を生んでいます。
その世界では禁止されていることをやっているので、父親も母親もいい奴か悪い奴かどうかは、人それぞれの立場によって捉え方も異なると思います。
ボクら地球人にとっては自然出産は当たり前のことですが、クリプトン人にとっては科学や文明が発達する過程で、それがいいとされていたわけですから、何かしらの理由があって最終的に機械に任せて赤ちゃんを出産することが常識になっています。
つまり、クリプトン星の世界でジョー=エル(ラッセル・クロウ)とララ・ロー=ヴァン(アイェレット・ゾラー)の2人は、ある意味犯罪を犯しているということになります。
クリプトン人の立場から言えば、彼らは悪い奴ということになりますが、だからといってスーパーマンも悪い奴の部類に入るのかというのは別問題になります。
ボクは最終的に何がいいたいのかといいますと、『マン・オブ・スティール』で街のみならず様々な方の命が犠牲になったのですから、被害を受けていない人たちにとってはいい奴であり、それ以外で被害を受けている人にとっては悪い奴として心に刻まれていると思います。
これは、『マン・オブ・スティール』の続編でもある『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』を観てもらえると、深く理解することができると思います。
ヒーローにとっての正義とは?、ボクらにとっての正義とは?
様々な観点で物事を考えられるこれらの作品は、ただ、映画を楽しむだけでは物足りないと思っている方にはおすすめの作品です。
めんどくさいことを複雑に考えてみてください。
『マン・オブ・スティール』を観てなお、スーパーマンは悪と言えるのか?
ヒーローと言えども中身(感情)は普通の人間で、スーパーマンにはスーパーマンの辛い過去を抱え生きていることを本作を通して知りました。
救える力があるのにも関わらず、突然現れた竜巻の影響で、目の前で大切な人を亡くす出来事に遭遇するとは、かなりもどかしい気持ちだったに違いありません。
家族から自らの力を公にしないことを散々言われ続け、その教えを守ると同時に大切な人を失ったのですから。どうしてあのとき助けにいかなかったのか、日々後悔の念に駆られていたと思います。
そんな暗い過去を抱えつつも、それでも地球を救うべく立ち上がるスーパーマンは、やっぱりすごい奴です。
そこに犠牲が伴ったとしても、地球が壊滅するかしないかの瀬戸際で、全人類を救ったのは紛れもない事実ですし。
『マン・オブ・スティール』を観てなお、ボクはスーパーマンが悪とは思えません。
さいごに
ずいぶん前から『マン・オブ・スティール』を観ようと思っていたのですが、今まで中々観る機会がなくダラダラと時間だけが過ぎてしまいました。
でも今回、ほかに観たいと思える映画がなくたまたま見つけて鑑賞してみましたが、本作を観て本当によかったと思います。
スーパーマンの知らなかった一面を知ることができましたし、『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』の内容へと続く物語の理解もずいぶん深まりました。
今までスーパーマンと言えば、真っ赤なブリーフパンツを履いたダサいヒーローとばかり思っていましたが、コスチュームも一新されめちゃくちゃかっこよくなってて、バットマンと同じくらい好きになりました。
ちなみに情報によると、『マン・オブ・スティール2』の製作がはじまったようです。
タイトルや公開日について、今のところどちらも不明のようですが、今から完成が楽しみですね。