2017-03-02

映画『奇跡の教室〜受け継ぐ者たちへ〜』イスラムの歴史がどうこうよりもすごいのは学ぶことの本質が描かれているところ!

スポンサーリンク

[btn class=”big”]映画を観る[/btn]
上映時間105分
製作国フランス
監督マリー・カスティーユ・マンシオン・シャール
配給シンカ
公開日2014年
主な出演者
アリアンヌ・アスカリッド(アンヌ・ゲゲン)
アハメッド・ドゥラメ(マリック)
ノエミ・メルラン
ジュヌビエーブ・ムニシュ
ステファン・バック

どうも、バンコです。

フランス映画のなかでも久々の大ヒット作品に出会いました。

いや〜ぁ、これは面白い。そして感動的な映画でした。

”学ぶ”ことの本質的な部分が、この映画には集約されています。

”学ぶ”とは本来どのようなことなのか、そのことを知れるだけでも価値のある作品でした。

なにか”学ぶ”ことに対して悩みや疑問を抱いている方は、本作の鑑賞をおすすめします。

あらすじ

貧困層が暮らすパリ郊外のレオン・ブルム高校の新学期。様々な人種の生徒たちが集められた落ちこぼれクラスに、厳格な歴史教師アンヌ・ゲゲンが赴任してくる。
「教員歴20年。教えることが大好きで退屈な授業はしないつもり」と言う情熱的な彼女は、歴史の裏に隠された真実、立場による物事の見え方の違い、学ぶことの楽しさについて教えようとする。だが生徒達は相変わらず問題ばかり起こしていた。ある日、アンヌ先生は、生徒たちを全国歴史コンクールに参加するように促すが、「アウシュヴィッツ」という難しいテーマに彼らは反発する。ある日、アンヌ先生は、強制収容所の生存者レオン・ズィゲルという人物を授業に招待する。大量虐殺が行われた強制収容所から逃げ出すことができた数少ない生き証人の悲惨な状況を知った生徒たちは、この日を境に変わっていく―。
引用:奇跡の教室〜受け継ぐ者たちへ〜(オフィシャルサイト)

感想

”学ぶ”ことの本質はこれ!

見た目もやることも特徴的な歴史教師のアンヌ先生は、生徒に”学ぶ”ことの楽しさやそれ以上に本質的なことを教えます。

それは一体どういうことなのか、印象的だったのはコンクールに向けて資料を作成する時間に、とある生徒が意味不明な数字が人間の皮膚に烙印された写真ばかりを切り取って集めたものを、先生やほかの生徒に見せるシーンになります。

このとき、その生徒に言ったアンヌ先生のセリフがとても印象的でした。

見たままの事実を並べたとしても、それでは意味がない。ただ、伝えられた相手に疑問が残るだけであって。

なぜ、人間の皮膚に数字が烙印されているのか。その数字は何を意味するのか。

それまでに至った背景や経緯を知り、当時彼らはどのような気持ちを抱いていたのか、そしてそれを知って自身がどう思うのか、どう感じるのか、どう考えるのか、対話を通して新しい意味合いがときには生まれることもあります。

そのことが本来の”学ぶ”べき姿であり、伝えるべき事柄であると。

このことは実生活で照りあわせてみると、ふとこのように思うことがありました。

普段からテレビやネットでニュースを見てると、さまざまな事件を聞いたり目にすることがあります。

たとえば殺人事件のニュースを見たとして、相手を殺した人は社会的にみて最悪な人物、殺された相手はかわいそうなどと思うことが大半です。

殺人という悪い行為をしていますから、相手を殺した人物は悪者であると感じるのは至極当然なことです。

しかし、その見たままの事実を捉えただけでは、それは”知る”ことであり”学ぶ”ということにはならないのです。

家族や友人、会社の同僚などにそのことを伝えたとしても、そうだね、怖いね恐ろしいよねと、ひと言で終わってしまうだけであって。日常会話のひとつとしてなら別に深く考えなくても、見たままの事実を伝えるだけでもいいとは思いますが。

”学ぶ”ということに重点を置いたときに、加害者にはどのような心境や背景があって殺人に至ったのか、一方、被害者はなぜ殺害されてしまったのか。殺害されるような原因がなにかあったのでは?というような物事を、調べて事件の全貌を解明することが、本来”学ぶ”ことを意味するのではないかと思います。(これは警察の仕事かな?)

極端なたとえになってしまいましたが、”学ぶ”ことの本質は見たままの事実をただ単に知る行為で終わらせるものでもありません。

表面上だけではわからない新たな事実を探求することが、”学ぶ”ための本来の行為です。

そして他者との対話からまた新たな事実が生まれ、それを受け入れることが”学ぶ”ために必要であると、本作を通して強くそう感じられました。

”学ぶ”ための行為は「見て来て触って」が大切!

どこかで聞いたことがあるようなセリフですが、このセリフはいつしかの富士通のCMで使われていたキャッチコピーになります。

このキャッチコピーって、案外理にかなっているといいますか、”学ぶ”ための行為そのものなんじゃないかと思います。

アンヌ先生はクラスの生徒たちに「ナチス」「アウシュビッツ」のことについて、教室で受ける授業だけに留まらず、実際に歴史的建造物の教会や美術館へ足を運ばせてみたり、強制収容所の生存者を授業に招いて当時の話を聴かせたりと。

授業だけでは学ぶことができないような事柄が、それらを通して生徒たちは「ナチス」「アウシュビッツ」への理解を深めることができました。

アンヌ先生は生徒たちに真実を知ることへの衝撃、そして真実と向き合うことへの楽しさを伝えたかったのだと、本作を通してそのように感じました。

物事の本質を掴むために、学校の教科書や図書館の参考書以外の場所で、教会や美術館、そして経験者からの話しなど、実際に足を運んで触れてみる行為がなによりも大切であると思いました。

想像するのと実際に見て触れてみるとでは、全然印象が違うことなんてざらにありますから。

何事も目的の場所へ行って確認すること、これが物事の本質を知るための近道なのかもしれません。

さいごに

ボクにとっては珍しく感動作といわれるフランス映画を選びましたが、観てよかったと思える作品でした。

イスラム教徒の歴史について、結局最後までまったく頭に入らず理解できないままでしたが、それでも十分楽しむことができました。(日本の歴史でさえ危うい感じですから)

ボクがバカだからなのかもしれませんが、内容が理解できなくても今回のボクのように視点を変えるだけで、いくらでも映画は楽しむことができると思います。

なかにはホント意味不明で視点を変えてもまったく楽しめないものもありますが。

本作に限ってはすごくいい作品と思ったので、”学ぶ”とは一体どういうことなのか、そのことについて考えたいと思っている方には鑑賞をおすすめします。

SNSでシェア!
関連記事


カテゴリー一覧
CATEGORY